I.W.HARPER

RAI SHIZUNO

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自分自身が満たされていれば、
お互いを尊重し合える
I'm harper 自己満足に生きる
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I'M HARPER. 〜自己満足に、生きる。〜
presented by I.W.HARPER

自分の信じたものに、繰り返し情熱を注ぐ。その姿は輝きを放ち、決して自分のスタイルを失わない。そんな人物を紹介する「I’M HARPER」。写真家として活躍しながら、クリエイティブな仲間たちとシネマアミーゴや逗子海岸映画祭などを手がける、志津野雷さんに話を聞いた。

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「自己満足って、自分の心をいつでも満タンにしてあげておくこと。でないと満たされない部分を他から得ようとしちゃうから」

写真との出会いは、いつ頃でしたか?

高校時代は単身でアイルランドに渡って寮生活をしていたのですが、出発するときに親父からオリンパスの古い二眼のカメラをもらって。それで風景とか、同級生の遊びなんかを撮ることから。大学には行く気はなかったのですが、東京工芸大学写真学科の一期生として進学しました。

サーフィンは、こどもの頃から?

大学の同期として写真家のPeroに出逢ったのがサーフィンを始めるきっかけでした。で、めちゃめちゃのめり込んで。女の子を知っちゃったときと同じです(笑)。あの頃Peroの影響は大きくて。彼が撮るサーフィンの写真もすごくカッコ良かったし。

一方で雷さんと言えば、写真に旅の要素が色濃いと思うのですが。

旅のなかのサーフィンや海、食、文化なんかがすごく好きだったので。アイルランド時代にヨーロッパを周ったりしたそのときの旅の刺激がバックボーンにあるんだと思います。ちょっと怖いけどワクワクする感じ。それと、そこにあるカルチャーから派生するいろいろな広がりをもっと体験したくなって。写真家としてのデビューのきっかけが、サーフサイドスタイルマガジン“Blue.”と、ANAの機内誌“翼の王国”というふたつの旅雑誌でした。

旅する写真家としての転機ですね。他にもターニングポイントがあったんですか?

2007年、青森六ヶ所再処理工場の存在を伝えるためのインディペンデント映画を観て、目を疑って、それを自分たちで確かめに行く旅を企画しました。工場が稼働したら、海洋放出されるであろう放射性物質が地元の海やオレらの身体にも影響を与える恐れがあるかもしれないこと、そしてニュースとして表に出てこない真実みたいなものも見え隠れしていて。でも、この動きは反対運動じゃなく、雑誌の編集者も含めて、サーファー、アーティスト、フィルマー、ミュージシャンなど、海とサーフィンを愛する多くの仲間たちとともに実際の現場と事実を知る旅でした。そしてその旅を通じて、想いとカタチをひとつにできたっていうのが大きなポイントです。

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そういう意味では3・11のインパクトも大きかったですか?

さまざまな知識が入った4年後に福島の事故が起きてしまった。ただ、しばらくすると何もなかったみたいに世の中が変わる気配すらなかった……。だったら社会に抗うよりも、海や自然を愛する者として、自分たちがオーナーになって雇用が生めたり、「ここ、いいよね!」って共感できる状況をつくって経済を回せたらいいんじゃないかなって。それがシネマアミーゴなんです。いちばん自分たちらしく、チャレンジングで、すごく自由を感じる。「責任は自分たちで取る」という覚悟も含めて。

なるほど。そして雷さんがシネマアミーゴから飛び出しちゃったのが、逗子海岸映画祭なんですね?

室内ってどうも落ち着かなくて(笑)。何もない砂浜に突如シネマアミーゴのコンセプトがドーンと現れて、夕日とともにスクリーンに光りが灯って……っていう環境があったらいいなって。しかもモバイル式になっていて、いろんな場所に移動式遊園地のようにいきなり映画館が建って……っていう状況です。

まさに旅する映画館ですね。

過去のたくさんの旅で出逢った人たちが年に一度集まってくるんです。10年経って気づけばもう、海外の友人たちは映画祭が始まる前から自力で来日していて、国内の仲間たちと一緒に設営し、空間をつくって。そして本番に「何かやりたい!」っていう人たちが、料理や映像や音楽を生み、そこでまた新たなコミュニケーションが生まれる。それはまさに映画のようでしかなく、お客さんたちはそのエネルギーを感じに来るわけです。シネマアミーゴも映画祭も、それを生み出すシネマキャラバンという緩やかな集合体も、なにかの“現象”みたいなものですね。

やっぱり雷さんのなかで“旅”が大きなものを占めていると強く感じます。雷さんにとって、旅ってなんですか?

世の中とのズレを確認するのが、間違いなく近年の旅の目的です。「ハワイに行ってサーフィンしたい!」などはもちろんあるのですが、もしかすると場所はどこでもよくて、ただ定期的に外に出て、共感し合える仲間たちに逢ってただ“ズレを確認し合う”だけでいいのかもしれません。でも、そのリアリティが作品のモチーフになってくるんです。

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雷さんの次なる一手は?

5年に一度ドイツで行なわれる現代美術展“ドクメンタ15”(2022年6月18~9月25)にシネマキャラバン with 栗林隆として参加できることになり、それに向けて“タンカー・プロジェクト”のメンバーに加わることになりました。旅や移動、コミュニティや表現をテーマに、廃船にされようとするタンカーを手に入れ、その上に緑や水のある自然環境をつくり、ただただ暮らしながら、旅しながら表現するというプロジェクトです。まだ空想ですが、いろんな方々の支援もあり、「タンカー、買えるかもよ」って話しも出てきたりしています。とても大きなプロジェクトなのですが、昔からオレの近くで表現の仕方の幅を広げてくれているのが、アーティストの栗林隆。「お前はアーティストなんて名乗らなくていいから、お前のやってることをもっと増殖させるためにアートの力を使え。」って。彼はオレたち仲間をどんどん引っ張ってくれる兄貴的存在です。

I.W.HARPERのブランドメッセージ「自己満足に、生きる。」というフレーズと、雷さんがこれまで続けてきた活動や考え方には共通項があるように感じます。

やっぱり自分の心が満タンになっていないと、満たされない部分を他から得ようとしてしまう人もいます。他人を利用してうまくやってやろうとか、他人への嫉妬なども生まれてきたり。いまの社会や世界の負の部分は、そういったことから起きているように思えます。でも逆に、ひとりひとり、自分自身が満たされていれば、いつもお互いを尊重し合える自立した関係でいられる。そして満たされた自分というのは、自分自身の努力でつくっていくしかないんだと思います。

ハーパーは「Modern Refinement(現代的な洗練)」をコンセプトに掲げていますが、雷さんの生き方そのものにこそ「洗練」を感じます。実はHARPERの“HARP”っていう単語には「同じことを繰り返す」っていう意味があるんです。長いあいだ同じことに情熱を傾け、ライフワークのようにさまざまな創造的アクションを起こし続けている雷さんやその仲間たちこそ、いまどきの洗練だと思います。

お酒の席なんかではついついアツくなっちゃうけど、それでも熱い想いとエネルギーをぶつけてきてくれる人がいます。旅先においてはもっと顕著。旅の醍醐味でもありますが、ひとりひとりがどんどん裸になっていくので、本当のコミュニケーションをひたすら積み重ねていくしかないんです。そういったなかでたくさん笑ったし、たくさん血も吐いたけど、それでもまだ一緒にいられる人たちこそ洗練された仲間に変化していくんだと思います。

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今日は、ハーパーにミントとガムシロップを加えてソーダで割ったハーパージュレップを用意したので、どうぞ。

少し飲んだ方がレンズを向けられたとき緊張しなくていいですね。いつもは撮る側だから。へえ、爽やかなんですね。こういう飲み方は初めてかも。いつもロックなんかで飲むことが多いから。なんでも素材そのものの味を感じる方が好きなんです。

どこまでも雷さんらしい答えですね!

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photo◎Junji Kumano
text◎Isao Negishi(KUJIKA)